荒涼

Wild & Cool

2月第2週

先週をさらに上回るスピードで過ぎていった一週間。仕事は何やらいろいろやっていたと思うが、振り返って出てくる言葉は「忙しかった」と「寒かった」のみ。冬は長い。

昨日、使っているタスク管理ソフトであるTodoistを整理した。もともとGTD的に仕事をしていたつもりだが、ゆる運用だったので、もう少しインボックスを空にすることを意識しようと思い立った。自己流で「やらねば」「やるべき」「やるかも」に振り分けてみたが、そもそもそれがGTD的なやり方なのかは自信がない。タスク管理は奥が深い。過去何度もやり方を変えてきたので、また変わるかもしれないが、少なくともしばらくは、入り口は全部Todoistに、をやっていきたいところ。

しかし一方で、人生にあるのは、「やる」か「やらない」かのどちらかでしかないことも知っている。「やる」はやるし、やってた。「やらない」はやらないし、やらなかった。でもやったこともある。そういうものだ。

「そういうものだ」は、先日から読み出した小説、ヴォネガットの『スローターハウス5』からの引用。果たして読み切るだろうか。小説、もう何年も読んでいない。「『スローターハウス5』を読み切る」はTodoistには記入しないだろう。もしそれで読み切ったのなら、それは尊いことだろう。

木曜の夜、奥さんのお友達の猫2匹を預かり、昨晩帰っていった。言葉を解さない人間ではない生き物とのふれあいは尊い

スケボーは、このあと練習しようと思っていたが雨が降り出したのでやらないだろう。Todoistに、タスク「スケボーの練習をする」、サブタスク「止まる練習をする」は記入するだろうか。おそらくしない気がする。そういうものだ。でも、ほんとうに、そういうものなのだろうか?