荒涼

Wild & Cool

1月第5週

2022年の53週のうちの第5週は、新しい年の新鮮さも薄れ、平常運転感の強い一週間であった。平常運転とはつまり、日々のタスクに追い立てられ、ミーティングの準備はせずにその場の瞬発力のみで切り抜け、計画を立てることも守ることも放棄し、ただ遮二無二目の前の仕事に取り組む、という過ごし方である。並行案件を増やし過ぎなことはわかっているが、増え過ぎてない状態などもう何年もないし、これがおれの慣れた日常だし、したがってぬるま湯なんだと思う。ぬるま湯の居心地の良さに浸り、「ああ忙しい。やはりこれがおれの人生だ」という(ポジティブな)諦念とともに過ごした一週間となった。

しかしそんな中、たしか水曜日、急に思い立ち、アマゾンプライムで「まどかマギカ」の映画版を観たことは特筆に値する。その数日前に何かで「まどかマギカ」という言葉を耳にし、そういえば前にテレビシリーズ版は観たな、面白かったような印象、たしか「円環の理」とか言ってたな、「マミさんのテーマ」は好きでよく聴いていたな、といったことを思い出し、観てみようと思ったのだった。テレビ版のあらすじはかなり忘れていたが、また途中何度か中断したが、楽しめた。分析や批評をする気は持たず、ただ楽しめたということが個人的に重要だと思っている。

おれはフィクションの世界がもうずっと苦手だ。この現実が忙しくて苦しくて楽しくてぬるま湯だから、そこから離れるのが非常に億劫なのだ。映画を観るのは観る前に「えいや」という奮い立ちと奥さんからの促しが必要だし、数泊する旅行の前は軽い鬱状態になるし、小説に至っては1ページ目の数行を読むだけで残りのページ数とそれに費やす時間、つまりこの現実から離れないといけない時間を気にしてしまってそれ以上読み進められなくなる。ここで言う「現実」とはつまり仕事のことであり、したがっておれは仕事しかやりたいことが特にないんだと思う。仕事が遊びのようなものだから、遊びを中断させるもの、遊びの時間を奪うものを忌避してしまう。

この、「仕事が遊びみたいなもの」という状況に対しての問題意識は年々高まっている。若い時ほど身体も頭も動かず、感性は鈍っていき、視力の衰えが加速していくなかで、もう今の仕事、つまり書籍編集仕事を続けられなくなるというXデーはいずれ訪れる。そのときに、自分は何をして過ごすのだろう。本を作れず、時間はあるのに映画も観る気になれない本も読む気になれない、みたいな状況になったときに、自分は楽しみを持てるのだろうか。定年を迎えるサラリーマンの心境がわかる。台風でも雪でも出社しようとする「社畜」をおれは笑えない。彼らには、他にやることがないのだ。仕事が遊びであるかないかの違いはあれど、本質的にはおれも同じ穴のムジナだ。

というわけで、ふとフィクションに触れてもいい気分になったらそれを優先しなくてはならない。忙しい状態はラクだ。考えなくていいから。タスクリストを消化していけばいいだけだから。でもそれだけだと多分クリエイティブではない。人生の奴隷だ。おれは奴隷でいたくないので抗わなければならない。たまに(イヤイヤでも)フィクションに触れなければならない。