荒涼

Wild & Cool

書くことの困難

いわゆる読み物において、こういうことを書いてもらったはずだが、書き終わったものを読んでみると、こういうふうになってなかった、というのは往々にして起きる。なぜか。構成を詰めたのに。トピックの流れも作ったのに。なぜだろうか。

書くというのはやはりむずかしいことで、書こうと思っていたことを書いているつもりでも、書いている最中、つまり書くという身体的行為を経ているなかでは、対象に近づいてしまう、渾然一体となってしまうから、書く前に想定していた書くことの書き方が気づかないうちに変わってしまい、本人は書こうと思っていたことを書いたつもりでも、書かれたものにはズレのようなものが生じてしまう、ということなんだと思う。

ではなぜそうなるのか。書きながら読んでいるからだと思う。読み手を意識して書いてくださいと編集者は言う。読者の顔を思い浮かべながら書いてください、と。しかし書いていると同時に読むわけで、読み手が書き手になり、書き手の読み手は書き手になる。それがドライブしたまま書かれていくと、ズレが生じる。しかしそのズレは書き手にはなかなか認識されない。

読者視点あるいはメタ視点というのはかくもむずかしい。特に書籍一冊のような長い文章であればなおさら。また、書きながら考えが変わることも当然ある。その変化は、書いたことを読んだことで生まれる。書くことは困難に満ちている。