荒涼

Wild & Cool

なぜきっちりとしたスケジュールを立てないのか、あるいはなぜ刊行は遅れるのか

(少なくとも自分の場合、)書籍編集の仕事において、スケジュールはきっちり立てない。プロジェクトを始める際は、いついつまでに構成案を固めて、いついつまでに脱稿して、いついつまでに編集してレイアウトして、このへんまでに初校を揃え、何月中旬ぐらいに入稿、校了しよう、というざっくりとしたものは立てるが、何月何日までに何章までを書いてもらって、次は何月何日までに何章を、みたい組み立て方にはしない。なぜか。

まず、いわゆる著者という人たちは、専業の書き手ではなく大半メイン業務が別にあり、それは大学の先生であったりデザイナーであったりプログラマーだったりするわけだが、そのメインの仕事を押しのけて執筆仕事を優先してくれとはなかなか言いづらい。とはいえ当然こちらは仕事であるので、責務を果たしてほしい、約束は守ってほしいと要望するが、本業を犠牲にして書いてほしいとまでは言えない。したがって、執筆仕事の優先順位は書き手にとって必然的に二番手以下の位置づけになるので、きっちりとしたスケジュールを立ててしまうのはリスクが高い。

また、本一冊という長い文章を書く旅路は困難が多く、書く前に構成案を作って設計してはいるものの、書くべきことを見失ったり、書いてみると考えが変わったりすることもよくある。プロの書き手ではないわけだから、こういう段取りで書き進めようという目論見は崩れがちである。

さらに、書籍編集者は当然複数冊を同時に回しているし、デザイナと協働している。このタイミングでこの章の原稿があがってくる予定になっているからそのタイミングは空けておき別の仕事は入れないでおこう、あるいはデザイナにパスするかもしれないからデザイナのスケジュールを押さえておこう、としても、原稿は予定通り来ないのだから、計画するだけ無駄になるし迷惑もかける。

したがって、綿密なスケジュールは立てないでいたほうがリスクを抑えることができ、対応可能性も高まる。一方で、オフを設定しづらく、常にオン状態で緊張して気が休まることはない。臨機応変に、都度全力で、やるしかない。そして、計画がないのだから、企画時にプレゼンしたざっくりとした刊行予定月からは、必ず遅れる宿命にある。

と、これで終わりにしようと思ったが、プロの書籍編集者として「つまり、なるようにしかならないんです〜」と言い続けるのもあまりかっこよくないので、ではこれを乗り越えるにはどうすればいいか考えてみたい。

まずひとつは、複数人の著者に原稿を依頼すること。本のある部分を受け持つということになれば、まるまる一冊を書き上げるよりも単純に文章量が少ないので、見通しは立てやすくなる。

また、書き下ろしの和書ではなく、翻訳書を年間ノルマの中に組み込むこと。翻訳は中間領域をさまよう難しい仕事であるのは承知しているが、相手が翻訳会社だと「発注」という形式をとれるので、納期はわりと守ってもらえる。

そんなところか。いや、著者が遅れないように綿密にサポートすればいいじゃないか、とも思うわけだが、しかし付きっきりでやったからといって書けるわけではないのは過去の経験上自明である(または、プロの書き手、ライターに依頼すればいいのだろうけど)。

編集者が編集制作プロセスで最後に辿り着く場所、すなわち校了は、常に霞んでおり、朧げで儚く、自分でもよく辿り着いたなと毎度驚く地点であり、終わってしまった安堵と執着、やり残したことへの悔恨と諦念、世にリリースできることになる喜びと不安が交差して折り重なり消失するゼロ地点であり、前後左右、まさに「荒涼」たる景色が広がる地点なのである。