本は、紙を束ねて一辺を綴じたものである。
そこでの紙一枚一枚はページと呼ばれ、それぞれのページの両面には何か(例えば文字など)が描かれており、導かれる行為は「めくる」というものである。
デジタル時代においては、ウェブサイトにもページと呼ばれるものがあり、また電子書籍もあるため、「本」や「ページ」の概念は拡張しているが、起点には上述の認識があり、めくらずともめくるに似た何かしらの遷移(transition)を伴う。
ある一枚に描かれた何らかの情報を、遷移していきながら一続きで体験させるものが本体験と言える。
この本体験を最も本体験たらしめるに適した形式はフィジカルな紙の本である。
なぜなら、強固な綴じを有しているため遷移の行き先はその紙の本の内部以外にはなく、以内にとどまり、一続きの体験を強いるつくりになっているからである。
本体験においては、以内性、言い換えると際限(キワ)への意識が重要となる。
本には最初と最後のページが必ずあり、そのあいだに何枚かのページが必ずあり、そこに何らかの情報を収めるかたちをとる。
なので本の書き手(著者)は、はじまりの言葉とおわりの言葉、そしてそのあいだをつなげる言葉を必ず書くことになる。
また、際限があるので、つまり独立した個別性があるので、それ全体を言い表すタイトルを付けることになる。
何について書くのか、あるいは何について書かれた本であるか、また綴じの強弱を問わず、あらゆる本はそのような制約・性質を持つ。
そして、そうした本という「製品」を、他者に読んでもらえる(使ってもらえる、そして買ってもらえる)「商品」に転化させようとする場合、いわゆるオビなどに記載されるキャッチコピー(惹句)が求められる。
その際、以内性にとどまり続けると、それは内側から発した言葉になり、文脈をまだ共有していない他者には理解されず、外側からどう見えるかの視点(価値提示)を欠く。
以内性を意識して一連の情報のまとまりを作らないと本体験の強度が弱まるが、切り出されて世に投げ入れられるものを商品たらしめるためには、際限のない以外性を意識しなくてはならなくなる。
以外性、際限のなさに立ち向かうには、ある賭け、おそらくこういう人には響くであろうという仮説にもとづいた打ち出しをしなくてはならない。
リサーチでその賭けのギャンブル性を低めることは当然できるしやるべきだが、他者との間にある深淵を超えられるかどうかは絶対的にはわからないため、賭博性からは逃れられない。
そのようなものである本を作るとは、どういうことか。
実際的な意味においては、本を作ることとは、書き手(送り手)の書きたいことを、書けるように、そして(読み手に)伝わるように、することである。
おそらく、世のあらゆるプロダクトやサービスには必ず送り手がいて、彼らは受け手(ユーザーなるもの)を想定している。
したがって、一歩引いて見れば、それらプロダクトやサービスはすべて本的な性質を持っていることがわかる。
であるならば、それらは本体験的な視点に貫かれて作られるべきであり、したがって、本を作ることは、あらゆるデザインに役立つ。
出版社を通すフィジカルな本であっても、そうではないイマジナリーな本であっても、本を作る、本にする、という想定を導入してプロダクトやサービスを設計することは、有意義である。